9月1日に自殺注意報を出すことの無念

今日は2017年8月31日。夏休み最後の日であり、明日から新学期が始まる学校も多いです。

9月1日は、1年間で1番子どもが自殺をしてしまう日だそうです。

だから、最近は、9月1日の前になると、「死んではいけない。」と色々な団体や個人が発信するようになりました。私も、昨年もそして今年も、FBに投稿しました。

しかし、よく考えると、これはとてもおかしなことではないでしょうか?

今の子どもたちにとって、学校はどんな場所なのでしょうか?

最近は、いじめ自殺のニュースにも社会全体が慣れてしまっているように感じますが、昔もこんなにいじめで子どもが自殺していたでしょうか?

学校が始まる日に子どもの自殺が多いから「この日は自殺に注意しましょう。」と、自殺注意報を出し、緊急避難場所を子どもに知らせることは、目の前の命を救うためにやむを得ないのかもしれません。しかしそれが定着すれば、「学校というのは子どもが自殺したくなるほど嫌な場所である。」ということを社会全体が容認することになるのではないでしょうか?

そんな場所で、子どもは学べるのでしょうか?

私は、今年、厚生労働省の第7回社会保障審議会「生活困窮者自立支援及び生活保護部会」の委員に選んでいただき参加しています。色々な課題がありますが、就労していない方に就労自立をしてもらうことは大きな柱です。

昨日8月30日の審議会では、生活困窮の場面で活躍されている団体の方々が現場でのお話をしてくださいました。

たくさんの生活困窮の事例のお話をきく中で、あることに気がつきました。みなさん、学校でつまづいてしまっている方が多いのです。そしてそれは、私たちが貧困家庭の子どもたちの学習支援をしていてもとても感じていることです。いじめ体験や、先生の心無い言動で自尊感情を大きく傷つけられている子どもがとても多いのです。

「厚生労働省の審議会には関係ないかもしれませんが、学校教育の現場で、もう少し多様な個性を認めることが大切ではないでしょうか?全ての子どもが『元気で明るくハキハキとした良い子像』を目指すのではなく、喋るのが苦手な子も、黙々と作業をするのが好きな子もいて、それぞれがお互いの良いところを認め合うというようなことを、先生もお友達も保護者もしっかりと合意することが重要だと感じました。」

と発言しました。

審議会の最後に、成年ひきこもり支援の団体の方が

「私たちは、成年のための居場所を運営していますが、そこを『育ち直しの場』と言っています。昔は学校は、子どもの安心な居場所だったのですが、今では逆に学校に行くことで傷つく子どもがたくさんいます。」

とおっしゃいました。

審議会終了後、その方とお話ししたのですが、

「本来はこの場所に文部科学省の方もいて、学校教育の現場でいじめを無くしていかなくては、この問題は無くなりません。50歳になってもいじめられたことを訴えるのですよ。」

とおっしゃっていました。同感です。

生活困窮の根っこ、働けない苦しさの根っこが、学校という場から始まっているとしたら、まずはそこに手をつけるべきではないでしょうか?

9月1日に、いかに自殺注意報を子どもに届けるのかを考えるのではなく、日本中全ての子どもが「明日から学校だ!」と、ちょっとウキウキするような、そんな社会を作らなくてはいけないのだと思います。

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です