児童虐待根絶に向けた、今すぐできる3つのアクション

今日は2018年12月10日、今年ももう終わります。
今年一番、皆様の心を痛めたのは、結愛ちゃんの虐待死事件ではないでしょうか?
虐待死の事件が起きると「とんでもない親だ」と加害者に対する怒りや、「行政は、児童相談所は何をやっていたんだ」という担当部局への批判が起こりますが、時にそれは虐待予防や虐待の発見には逆効果ですらあります。
児童虐待が起こる家庭は、例外なく「孤立」しています。子育てがうまくいかない、お金がない、仕事のトラブル、生活のトラブル、家族のトラブル、そんなことを相談できる人がいないので、家族という狭い世界で一番弱い子どもにしわ寄せが行くのです。「助けて」と声をあげて欲しいのに、世間のバッシングが燃え上がる様を見れば、「絶対に知られてはならない。」とますます隠してしまいます。

虐待を「ダメな親」の問題にしても、虐待死を防ぐことはできません。どうすれば虐待死は防げたのか?虐待予防のために何ができるのか?を考えて行く必要があります。

虐待を地域からなくすために、私は

1 意識を変える!子育ては地域全体で
2 笑顔の声かけ
3 「189」の活用

3つのアクションを提案します。

 

1 意識を変える!子育ては地域全体で

日本は「子どもを育てるのは親の責任」という国民意識がとても強い国です。そうは言っても、少し前は、子どもの数も多く、地域の中で相互に助け合いながら子育てをしていましたが、少子化が進む日本では、子どものいる家庭は少数派になり、子育て家庭は、地域社会の中で、いつも「怒られるのではないか」とビクビクしながら子育てをしています。

保育園や児童相談所を立てようとすると地域住民から反対運動が起こる、そんなそんなニュースを見て、若い人は子どもを産もうと思うでしょうか?子どもたちは、「自分は社会に歓迎された存在」と思うでしょうか?

電車の中でベビーカーを畳まないと「最近の若い母親は」と怒られるのです。
子どもを抱え、子どもを連れ歩くことでたくさんの荷物があるのに、さらにベビーカーを畳んで持つなどは不可能なことです。専業主婦で子どもを連れ歩く必要がなかったり、3世代同居でおばあちゃんに子どもを預けられた時代とは、事情が違うのです。
「ベビーカーで混んだ電車に乗るのが間違い」などという論調が、さも正しいというように流れてくると、本当に悲しくなります。みんな事情があって乗っているのです。欧米でもアジアでも、ベビーカーを見かけたら最優先で電車に乗せてくれます。みんな席を譲ってくれます。
「子育ては社会全体で!」という掛け声だけは以前からありますが、実態としては、ますます子どもを育てづらい社会になっています。

これ以上、虐待死を出さないためには、今こそ掛け声だけではなく、ほんとうに子育てを地域社会全体で行う、一人一人の地域住民が子育ての主体者であるという実感を持つことから始めましょう。
子育ての課題は「社会の課題」です。家庭力(生きる力)に格差があるのは当たり前のこと。それを社会や地域で支援していこう、という発想に変えることが、すべての子どもを救うことに繋がります。
虐待を受けることで、子ども自身が失う利益や医療費、生活保護費用の増大などの社会的コストは推計で年額1兆6000億円にのぼると言われています。皆さんの意識を変えて行けば、子どもも幸せになり、社会的コストも削減できるのです。

2 笑顔の声かけ

子どもは一人では生きられません。弱者です。そして、弱さを持つ者を育てるということは、親自身が弱い立場になるということです。

私自身の経験でも、子どもが小さいときは子どもを連れて外に出るときにとても緊張しました。
「子どもが泣いて周りに迷惑をかけるのではないか?」
「子育てのことで何か注意をされるのではないか?」
と、常にビクビクしていました。
実際、子どもが駄々をこねている時に、全く知らない高齢者の男性から
「ちゃんと育ててないからだ。子どもが可哀想だと。」
と責められたこともありました。
幼稚園のお迎えで、「帰りたくない。友達と遊びたい。」とお兄ちゃんは駄々をこねているのですが、私の背中には、39度の熱を出してぐったりしている、それでも家において置くわけにはいかず連れ歩いている弟がいるのです。途方にくれているのに、何の事情も知らない方からなぜ怒られなければいけないのか? あの時の悲しさは20年経った今でも忘れられません。

電車の中で、赤ちゃんが泣いていると
「うるさいぞ。」「黙らせろ。」と声をあげたり、舌打ちをする大人がいます。
とんでもないことです。
泣いている赤ちゃんを泣き止ませる方法などありません。泣いている赤ちゃんに対して暴言を吐く大人こそがマナー違反であり、社会的常識に欠けた社会生活不適格者だと私は思います。泣いている赤ちゃんに我慢ができないのなら、そういう人は、街中に出ないで欲しい、とさえ思います。

私自身の体験でも、逆に優しい声をかけてもらったときは、どれほど嬉しかったでしょう。笑顔や親身になってくれた一言がどれだけ支えになることか。近所だけでなく、電車やバスの中でも、優しいまなざしで見守っていきましょう。

私はイギリスで1年間だけ生活していました。海外旅行も好きなので、子どもが小さいうちは、よく家族で海外に行きました。ヨーロッパもアメリカもアジアも、子どもを連れて歩いていると、幸福感で一杯になります。すれ違う全く知らない人が、子どもや私に微笑みかけてくれるからです。
「かわいいわね。」と声をかけてくれるからです。それだけのことですが、本当に幸せを感じるのです。我が子がますます可愛くなるのです。

今の日本で、子どもを育てているママやパパは幸福感を感じられるでしょうか?

子どもを見かけたら、笑顔になる。微笑みかける。
それだけで救われる親子がたくさんいます。そういう子どもに暖かい地域が作れれば、
「ダメな親と怒られる」とますますうちにこもって虐待してしまうことも無くなるのではないでしょうか?

3 「189」の活用

「189」は全校共通の児童相談所への虐待通報ダイヤルです。虐待を目撃した場合だけでなく、何かおかしいなと思った時点で電話をしましょう。匿名で行うことができるので、近隣との関係を意識しすぎる必要はありません。
現在、虐待を発見した際の通告は、国民の義務となっています。

結愛ちゃんの後も、虐待死は続いています。政府も最優先で対策を進めていますが、私たち一人一人が、周りの子どもに目を配り、笑顔を向ける、今すぐできることを始めて行きましょう。

2019年には虐待で無くなる子どもが一人もいなくなるように。
一人一人が意識して、子育てしやすい社会を作って行きましょう。

 

#児童虐待

児童虐待防止署名キャンペーンへの内容改変に関する公開質問への回答

 

 

キャンペーン 「もう、一人も虐待で死なせたくない。総力をあげた児童虐待対策を求めます!」について、公開質問をいただきましたので、ここに回答します。

質問の内容はこちらです。

*公開質問1 回答する必要はないと判断して回答しておりません。

*公開質問2 こちらに関して回答させていただきます。

 

以下回答です。

 

一般社団法人 office ドーナツトーク代表 田中俊英 様
東京都⺠ 土谷和之様 へ

 

キャンペーン 「もう、一人も虐待で死なせたくない。総力をあげた児童虐待対策を求めます!」 の内容改変に関する公開ご質問に対して、以下のように回答いたします。

 

質問1)共同発起人として、今回の事態をどのように捉えていらっしゃいますでしょうか。

船戸結愛ちゃんのような子どもを今後一人も出さないように、虐待に苦しむ子どもがいなくなるようにと、105813人の市民が立ち上がり、迅速な署名を通して世論を形成し、国を動かして虐待予防の施策を作り上げることができました。本来ならば、「虐待をどうすれば防げるのか?」その点に関しての議論をさらに進めるべきと感じております。
署名サイトの文言の改変等に関してご批判をいただいておりますが、これは、発起人、共同発起人、署名をした10万人以上の勇気ある市民が各自判断するべき問題であると考えます。その中で発起人、共同発起人の方の中にはそれぞれのお考えを述べていらっしゃる方もいます。また署名をされた方で、何かご意見がある際には、駒崎氏が直接意見を受け付けています。直接抗議するなり、相談するなり、または、SNS等でご意見をあげていだくこともできますし、そのような方々に対して、私たち発起人は真摯に向き合う必要があると思います。が、署名活動に参加されていない方からのこのような動きは、「いかに虐待を防止するか」という本来の主旨から大きく外れたものであり、個人的には非常に残念に思います。

 

 

質問2)今後、署名者及び署名を届けた東京都、厚生労働省に対して、発起人、共同発起人はどのような対応を取るべきとお考えでしょうか。

もし、署名を取り下げたいという方がいらっしゃった場合には、東京都や厚生労働省に署名取り下げの依頼をかけるという事務的な手続きになるかな?と思います。署名を取り下げたい方がいらっしゃるのか、どうか?は残念ながら私は存じ上げません。

私個人としては、署名を取り下げるつもりはありません。

 

 

質問3) 当初の「児童虐待八策」の文面について、「児相の虐待情報を警察と全件共有すること」 を求めたものと解釈されていましたでしょうか。もし、そのように解釈していなかった場合、その理由もご教示ください。

 

「児相の虐待情報を警察と全件共有すること」とは解釈していません。その理由もとありますが、

改変前の文章

(2)通告窓口一本化、児相の虐待情報を警察と全件共有をすること、警察に虐待専門部署(日本版CAT)を設置することを含め、適切な連携を検討する会議を創ってください」

を、普通に読めば、

通告窓口一本化、全件共有すること、虐待専門部署を設置することなどを検討する会議を創ること

を求めている文章だと解釈しています。

全件共有は、通告窓口一本化、虐待専門部署の設置と共に例示されたものの一つであり、決して全件共有を求める策ではないと解釈していました。ご質問文からは、「あたかも普通に読めば全件共有することを求めた文章である」というニュアンスが感じられますが、少なくとも私は、「検討する会議を創ること」を求めた文章だと読み取りました。そこに特段の理由はありません。

全件共有に様々な意見があることは承知していたので、全件共有を求めるものであれば、発起人になる前に駒崎氏に意見や疑念を伝えていました。この点は、私なりに、時間がない中でも八策を咀嚼し、その上で発起人になりました。私は「まずは会議を創ること」が必要だと思いますし、もし、そのような会議ができれば、ぜひ参加したいと思っていました。

ですので、ご指摘いただいた、 「警察への全件共有」に触れない形に改変  についても、「適切な連携を検討する会議を創る」という策の主旨を大きく変えるものではないと考えています。

私個人としては、本来の文章を変更する必要はなかったと思いますし、駒崎氏の気遣いが裏目に出てしまう結果になり、発起人、共同発起人の方々にも不安を覚える方がいらっしゃるような事態を招いたことは反省するべき点だと思います。が、殊更に騒ぎたてるような種類のものでもないと感じています。

 

以上がご質問いただいた内容に関する回答です。

 

以下、今回の事態に関しての私の考えです。

 

1)全件共有に関して

色々な意見がありますが、私は児相の虐待情報を警察と全件共有をすることに関しては、ぜひ前向きに検討するべきだと思います。

全件共有に対する様々なリスクがあることも承知していますが、全件共有することで、一人でも二人でも救える命があるのなら、一度真剣に検討してみる価値は十分にあると思います。

勘違いされている方もいらっしゃるかもしれませんが、「虐待情報の警察との全件共有」と、「虐待事案への警察の全件介入」は全くの別物です。全件介入に関しては、私ももちろん反対です。

厚生労働省の「虐待対応担当窓口の運営状況調査結果の概要」によると、虐待対応担当窓口職員の25%は非常勤職員です。

*表4 虐待対応担当窓口職員の正規・非正規別業務経験年数

以前、児相に勤めたことのある非常勤職員の方のお話を伺ったことがありますが、保護した子どもの父親に恫喝されるようなことが度々あったそうです。私は、「非正規の方がそんなことまでさせられるのか?」ととても驚きました。子どものためとはいえ、私ならやり続ける自信はありません。非正規の職員が、体を張って、自分の身を危険にさらして虐待を防ぎ続けるシステムは限界にきているのではないでしょうか?

今年の夏も暑いです。日本では、毎年、子どもが車内に置き去りにされ、その結果死んでいます。海外では、子どもを車に残して行けば、通報され逮捕されます。私が1年間住んでいたイギリスでもそうでした。「よく眠っているから」「ちょっとだけだから」という例外はありません。どんなに大変でも面倒でも、子どもを車内に置き去りにしません。日本では、毎年子どもが置き去りにされて死んでいるのに、今だに置き去りは通報になりません。

先日もパチンコ店の駐車場で、店員が置き去りにされた子どもを発見し、窓を割って助けようかどうしようかと迷っていたところに、保護者が帰ってきて、注意をしたら逆ギレされたというような事件がありました。

今のままでいいのでしょうか?

私は、もっともっと子どもの命を守るために必死になりたいです。全件共有で、全ての虐待は救えないかもしれません、リスクもあるかもしれません。しかし、今のままではダメなのです。
どうすれば子どもの命を守れるのか、それについて議論をもっと進めていきたいです。

 

2)署名とはなんなのでしょう?

ご質問文の中に「ソーシャルセクター・NPOの関係者等の間で問題視されています」とありますが、それは具体的にどなたなのでしょうか?

ご質問文からは、あたかも今回の署名活動が、嘘にまみれた署名者を騙したようなニュアンスが感じられます。

署名活動をした105183人の市民は、騙された愚かな方々なのでしょうか?

私は違うと思います。結愛ちゃんのような悲劇をもう二度と出さないと強く心に誓った、素晴らしい行動力を持った方々だと思います。そして彼ら彼女らの力が、今まさにとてつもないスピードで児童虐待を防止しようと国を動かしているのです。私は、NPO法人キッズドアの理事長という立場ではありますが、自分が「ソーシャルセクター・NPOの関係者」というような特別な存在だとは思っていません。ただ、子どもの命を守りたい、虐待をなくしたいという一人の人間です。

105183人の方々にそれぞれの想いがあり、それぞれの意思があり、それが一人一人の署名となっているのです。皆、虐待をなくしたいという想いであふれています。

できるなら、熱い議論は、「いかに虐待をなくすか」について語りたいですし、発起人、共同発起人となられたような方々は、このような質問状への回答に時間を使うのではなく(私はすでに8時間以上をこの質問に使っています)、もっと違う部分に力を使うことで、一人でも二人でも救える命があるかもしれないと思うと、本当に残念です。

結愛ちゃんの事件の後も、高校の校庭で赤ちゃんの遺体が見つかり、小学3年生の男の子が胃袋破裂でなくなっていますが、虐待の疑いで両親が逮捕されています。今日(8月3日)も長崎で車に置き去りにされた1歳の女の子が亡くなっています。

 

これ以上、子どもが虐待で亡くなるのを防ぎたい!

 

私たち10万人以上の市民が署名活動を通して実現したいのは、「市活動の基幹的ツールである署名活動の信頼性・正当性を担保すること」でも「今後のソーシャルセクタ ー・NPOの健全な発展」 でもありません。ただ、子どもの命を救いたいのです。

お二人がソーシャルセクターやNPOの健全な発展に力を注がれるのは、非常に立派なことですし、尊重します。

が、できましたらそれはこの問題以外のところでやっていただけないでしょうか?公開質問状というような手段はこれきりにしていただきたいと強く思います。

 

私の意見は以上です。

子どもたちの虐待を防止しようとしているはずの大人達が、ネット上でこの様なやりとりを拡散しているのは、子ども達に対して恥ずかしいですし、申し訳ない気持ちになります。

虐待を無くすために、子どもたちの命を守るためにどうするか、という本質的な議論に力を注ぐために、この問題に関する意見表明はこれを最後とさせていただきます。

これ以上、子どもの命が奪われないよう、虐待防止策が1秒でも早く進むことを願っていますし、できることがあれば皆様と力を合わせて実現していきたいと思っています。

 

 

2018年8月3日

なくそう!子どもの虐待プロジェクト2018 発起人

  NPO法人キッズドア 理事長 渡辺由美子

 

子どもの貧困 ~未来へつなぐためにできること

足掛け3年もかかってしまいましたが、ようやく5月25日に私が書いた初めてのが出ます。

NPO法人キッズドアを2009年に設立してから10年間近く、私は子どもの貧困の現場を見続けてきました。

「勉強が苦手だが塾に行くお金がなから、高校に行けない子どもがいるなら、無料で勉強を教えてあげればいいんだ!」

と軽い気持ちで踏み込んだ、「子どもの貧困」の実態は、私の想像をはるかに超えた、理不尽で深刻な状況でした。

なぜ、こんなになるまで放置されてきたのか!という驚きを隠せません。

日本人は優しい、思いやりのある国民だと言われていますが、現場にいると「なぜ、このような状況を放っておけるのか?」と、怒りが湧いてきます。

「スマホを持っているから貧困ではない。」というような古い観念にとらわれた貧困バッシングや、「お金がないのは怠けているからだ。」という自己責任論は、「子どもの貧困」という社会課題の解決を妨げる最大の要因です。

実態をよく知らないままに投げかけられる言葉が、どれほど子どもたちやその親を傷つけているでしょう。

「日本の子どもの貧困」を解決する一番の早道は、今起こっている子どもの貧困の実態を一人でも多くの方々が理解することです。どなたにでも読んでいただけるように、できるだけわかりやすい言葉を選び、心を込めて書きました。

 私が出会った子どもたちも親も、皆大変な状況で頑張っています。みんなで子どもたちを応援するために、まずは手にとってお読みいただければ幸いです。

すべてのこどもたちが夢や希望をもって生きられる社会を目指して、これからも皆様と力を合わせていければと思っております。

 

<内容紹介>

きちんとした身なり、おしゃれな子もいる、清潔感もある。スマホも持っている。
でもお昼代は100 円、そして1,000 円の参考書が買えない。
ひと目ではわからない「子どもの貧困」はなぜ起きているのか…。

現在、日本の子どものおよそ7人に1人が貧困の状況と言われている。厚生労働省発表「子どもの貧困率」は2009 年の14.2%から2014 年には16.3%に上昇、そして多くのメディアが「子どもの貧困」を取り上げ、政府も緊急の課題として検討を進めている。

一見それとはわからない子どもの貧困。「自己責任論」などの安易な批判や「かわいそうな子どもたち」という福祉的観点で捉えるむきもある。しかしそれは近い将来、日本経済の破綻を招きかねない重大な問題であり最優先で取り組む課題である。

本書は子どもの貧困問題を生活保護など増大する福祉コストや高止まりする非婚率、少子高齢化等の社会問題と関連づけて考察し、また「子ども食堂」や「フードバンク事業」そして「無料教育支援」などの取り組みを紹介する。政府や自治体、企業、NPO、市民それぞれが問題解決のため何ができるのかを考える

【目次】
はじめに

第1章 「大学生って本当にいるんだ」
見えづらい日本の子どもの貧困
お昼代の予算は100円
お金かかるならいかない
眼鏡なんか買えない
大学生って本当にいるんだ
この子が今ここにいる事が奇跡みたいなもんだから
これって現実かな
今日、私、お誕生日なんだよ
今、白血病で入院しているんです
風邪で亡くなった母の気持ち
震災で家財を失い
兄弟が多くてすいません
お金がないならしょうがないのでしょうか?
お金がかかれば部活はできない
あなたのすぐそばに困っている子どもたちはいる

第2章 教育格差の実態
なぜこんなに成績が悪いのか
家に勉強する場所がない
すべての親が勉強を教えられるわけではない
夏休みなんて
多様化が進む家庭や親
お金がなくても本人が頑張ればどうにかなるのか?
15歳で将来をあきらめる子どもたち
教育格差が起こる原因
貧困の連鎖
本人の努力では格差は埋まらない
勉強の仕方そのものを知らない
暗記の仕方がわからない
情報やノウハウの欠落による誤った自己認識
高度化する情報社会を生きる子どもたち
プログラミング教育の可能性
貧困の連鎖を断ち切るために

第3章 現場で起きている奇跡
学校の先生、ダメじゃん
寄り添って教えてくれる誰か
「勉強を教える」ことの本当の効果
深刻なコミュニケーション機会の不足
相手の言っていることを理解する
非認知能力を育てる
勉強嫌いのレッテルを貼らない
発達障害や不登校と子どもの貧困
ボランティアが発見したつまずきの原因
貧困と不登校やいじめ
現在のキッズドア

第4章 私たちが大事にしていること
私がキッズドアを始めたきっかけ
最高の魚の釣りかたを教えたい
お金のあるなしと、人間の優劣は関係ない
教育にこだわる。結果にコミットする。
学力を上げるむずかしさ
学習日以外の準備が大事
それでも子どもは親を待っている
他機関との連携
ボランティアによる指導へのこだわり
片親だから行き届かないのか
ボランティアする側に回る
大学生の成長
この子と自分の違いに気づく
社会人との交流
ホームレスの人と話をすること
会社でえらくなって欲しい

第5章 子どもの貧困対策は「福祉」ではなく「将来への投資」
動き始めた子どもの貧困対策
少子化と子どもの貧困
まったなしの子どもの貧困対策
子どもの貧困対策は「福祉」ではなく「将来への投資」である。
国をあげて子育て支援の充実を
2050年、あなたは何歳ですか?
子ども・若者・子育て支援に資金を投入しよう
企業の積極的な参加を!
あなたも今すぐ行動をしてみませんか?
子どもの貧困の誤解は解けましたか?

著者について

千葉大学工学部出身。大手百貨店、出版社を経てフリーランスのマーケティングプランナーとして活躍。 配偶者の転勤に伴い、1 年間英国で生活、「社会全体で子どもを育てる」ことを体験。2007 年任意団体キッズドアを立ち上げ、2009 年内閣府の認証を受け特定非営利活動法人キッズドアを設立。同法人理事長。日本のすべての子どもが夢と希望を持てる社会を目指し、活動を広げている。内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議構成員、第9 期東京都生涯学習審議会委員、専修大学非常勤講師。「全国子どもの貧困・教育支援団体協議会」設立世話人・副代表幹事

子どもの貧困-未来へつなぐためにできること

生活保護家庭に生まれた子どもの 貧困の連鎖を断ち切るために

生活保護家庭の大学や専門学校への進学の困難について考えて見ていただけないでしょうか?

生活困窮者自立支援法等の一部を改正する法律案が閣議決定しました。今後国会審議に入ります。

今回、子どもの貧困の連鎖を断ち切るため、生活保護世帯の子どもが大学や専門学校に進む場合、新生活準備のために10〜30万円を支給する「大学等進学時の一時金の創設」が盛り込まれています。新年度から導入するためには、速やかな成立が必要です。ぜひ、今年の4月には、生活保護世帯から大学や専門学校に進学する子どもが少しだけでも楽になるように、いち早くこの法案を通過させて欲しいと願っています。

 

子どもは親を選んで生まれることはできません。生活保護家庭に生まれるか、そうでない家庭に生まれるかは、本人の努力ではどうにもなりません。

どんな家庭に生まれても、平等なチャンスがあり、それを掴むかどうかは本人の頑張り次第なら良いのですが、残念ながら今の日本はそうなってはいません。

 

高校卒業後、大学や専門学校に進学する率は、全世帯では73.2%。

生活保護世帯のでは33.1%です。

 

少し前まで、生活保護世帯の子どもは、高校を卒業すると「稼働に資する」と言われて、働く選択肢しかありませんでした。税金で生活をしているのだから、高校を出たら働けるのだから、働いて生活保護から抜けるのが当然という考え方です。たまたま生活保護の家庭に生まれたばかりに、18歳で家族のために働くしかなかったのです。

 

しかし、高校卒業後に、大学や専門学校に進学することが当たり前になってきたので、「世帯分離」という仕組みを作り、生活保護世帯の子どもでも高校を卒業したら、「強制的に働かなければならない」ということは、なくなりました。

もっと勉強したい、専門的なことを学んでから就職したいという、子どもの願いを叶える道筋ができたのです。

 

誤解されている方が多いのですが、世帯分離という制度は、生活保護家庭の子どもが高校卒業後、「家族のために強制的に働かなければならない」というまるで奴隷のような、家族のために犠牲になる人生を歩まなくてもいい、というだけの制度です。

 

高校卒業後の本人の生活費や学費が、生活保護費から出ることはありません。

生活保護世帯の子どもは、高校卒業後に進学をすると、生活費と学費は全て自分で賄っています。おそらく、貸与型奨学金や教育ローンを目一杯借り、足りないところはアルバイトで自活をしながら学んでいるのです。

貧困の連鎖から抜け出すために、18歳で卒業時の多額の借金と過酷な生活を背負って進学をしているのです。

 

健気ではないですか。

こんな苦労をして学んでいるのに、時にあらぬ誤解から「生保家庭の子どもに税金を投じて大学行かせるなんてとんでもない。」などというバッシングが起こることは、本当に悲しくなります。

もしかしたら、あなたが生活保護家庭に生まれていたかもしれないのです。彼ら彼女らに非は一切ないのに、過酷な人生を引き受けて学んでいるのです。

どうか、応援してあげてください。

 

 

もうひとつ、生活保護世帯の子どもが大学等に進学する際に大きな障壁があります。

4月の時点で、「所持金が0円」なのです。

今回の法改正であげられた「大学進学時の一時金の創設」は、まさにこの壁を乗り越えるためのものです。

 

これも誤解がありますが、生活保護家庭の高校生は、進学に備えての貯金ができません。アルバイトをして高校生活に必要な修学旅行や部活動の費用など当てることはできますが、バイト代を貯金して、新生活に備えることはできません。頑張ってたくさんアルバイトをしても、新生活のために貯めることは許されず、その費用は国に変換しなければなりません。貯金ができないのです。

 

世帯分離をして大学や専門学校に入り、アルバイトで生活費を稼いでも、給料が出るまでに1〜2カ月かかります。その生活費がないのです。大学や専門学校に入れば教科書代や教材費がすぐに必要になりますが、そのお金がないのです。

 

実は、高校卒業後に就職するこどもには、「初任給が出るまでの当座の生活費」ということで、一時金が出ます。よく考えれば当たり前のことで、家賃も食費も必要です。お金がなければ生活できません。

大学や専門学校に進学した子どもも、「最初のアルバイト代が出るまでの生活費」は必要です。

 

地方の生活保護家庭から東京の大学に進学した学生さんに、何が大変だったかと聞いたことがありますが、「4月がとにかく大変だった。」と言っていました。

教科書代、パソコンや新生活のための最低限の家電、学校に通うための最低限の洋服など、必要なものを買うお金がありません。もちろん、新歓コンパなど全くいけません。

 

たまたま、生活保護家庭に生まれたために、大学や専門学校に行くためにそんな苦労をしなければいけないのは、おかしくはないでしょうか?

その苦労を少しだけ軽減するための「大学進学時の一時金の創設」なのです。

 

そして、これは、4月に支給されなければ意味がありません。今年の4月に生活保護家庭から大学進学する2万3千人(H28年度)の生徒が、スムーズに新生活をスタートさせるために、ぜひ早急な成立を望んでいます。

 

生活保護受給家庭に対して、様々なバッシングがよく起こる日本ですが、それは正しい情報なのか、そこに誤解はないのか? 特に子どもや若者に関わることは、ぜひ今一度考えて見ていただけると幸いです。生活保護を受給している子育て家庭には、必ず如何ともしがたい理由があります。そして、子どもたちは、たまたま生活保護を受給する家庭 に生まれただけなのです。

 

<参考>第196回国会(常会)提出法律案

生活困窮者等の自立を促進するための生活困窮者自立支援法等の一部を改正する法律案

 

全世帯型社会保障と教育無償化についての現場からの考察

新政権が発足しました。幼児教育無償化、教育無償化、など少しずつ全容が見えてきましたが、今ひとつ現場実感と合っていないので、もし、私が総理だったらどうするか、という視点で考えて見ました。

まず、課題の整理です。

1)少子高齢化に寄る人口減少

少子化では、稼ぐ人が急激に減っていき、年金制度を筆頭に現在の社会保障制度が成り立たなくなるというのが大きな問題です

高齢化に関しては、ベビーブーマー世代が後期高齢者に入り高齢者のボリュームが増えること、加えて一個人としてみると長寿化で年金で支えなければならない期間が増えるという課題があります。つまり、年金受給者が増える&一人当たりの総年金受給額も増えるという状況です。そしてこれは年金だけではなく、医療費も生活保護等の高齢者の社会福祉ににかかる費用においてすべて同じです。Wパンチ、トリプルパンチどころか、ボコボコの状態です。

日本の財政の1 /3は社会保障ですが、社会保障費のうち 35%は毎年高齢者に支払っている年金の不足分に使われており、さらに30%は医療費ですがその多くは高齢者の方の医療費です。とかくバッシングされる生活保護費は8%ほどしかありませんし、実は生活保護煮しめる高齢者の比率も高いのです。

つまり、日本の社会保障は、高齢者世代に偏っており、子育て世代などの現役世代への給付が少なすぎるのです。子育てや失業者のための就労訓練など若者にほとんど使わないので、本来もっと社会保障を配分していれば伸びるであろうGDPを失っていると考えられます。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2015pdf/20150302089.pdf

一足早くこの状況に陥っている多くの地方では「地方消滅」と言われていますが、今の状態を放置すれば間違いなく「日本消滅」です。

このように、日本の人口構成に関する大きな課題があります。

 

2)教育に関する課題

さらに、日本は世界で最も優れた教育を提供している国だという幻想を抱いている方も多いようですが、教育に関しては2つの大きな課題があります

A  教育費の自己負担が高すぎるため少子化の原因となっている

B  教育の内容が古く、学校の体質改善も進まないため、「学校」のみの教育に限界がきている

それぞれについて、もう少し詳しく見ていきましょう。

 


A  教育費の自己負担が高すぎるため少子化の原因となっている


これは、税金を教育に投じていないからであり、特に未就学児(幼児教育)と高等教育(大学や専門学校など)の学費が高すぎるという課題があります。子育てや教育にお金がかかるために子どもを産むのをやめる、本当はもっと欲しいけど一人しか産まない、というような状況になっており、教育費の自己負担の高さは、少子化の最大の要因です。

ちなみに、保育園が足りないために子どもを産まない、という状況も生じており、これも少子化や女性の労働生産性向上という観点で大きな課題です。保育園の整備に関しては、高齢化や教育問題と比較すると非常に解決しやすい課題でもあり、(高齢者の医療費の自己負担率を上げるとか、年金支給を75歳にするとかに比べれば)、効果も高いので最優先で取り組むべきでしょう

 

■全世帯への幼児教育無償化は必要か?

幼児教育無償化に関しては、高所得世帯も含めて一律に無償化にするべきかどうか、という議論があります。

幼児教育無償化推進派の意見を整理すると、幼児期に非認知能力(忍耐力やコミュニケーション能力など)を上げる教育投資が成人後最も自立して稼いでいるという投資効率の良さの研究(ジェームズ・J・ヘックマン https://store.toyokeizai.net/books/9784492314630/)がその主張の根拠になっています。

しかし、それは、幼児教育の重要さを訴えたものであり、無償化を必須とするわけではありません。すでに4歳児で95%以上、5歳児では98.5%が幼稚園か保育園に通っている現状では、幼児教育は行き渡っていると考えていいのではないでしょうか?ヘックマン理論によるのであれば、幼児教育への投資は、無償化ではなく、さらなる教育の質の向上に使った方が将来のリターンは大きくなるでしょう。私個人としては、幼児教育無償化の前に、保育園の整備や保育士不足解消への予算振り分けの方が優先度は高いと思います。

 

■幼児教育と高等教育のどちらを先に無償にするべきか?

少子化対策の観点から幼児教育無償化か、大学や専門学校等高等教育の無償化のどちらが効果が高いでしょうか?

これについては、明確な比較は見つけられませんでしたが、私が教えている大学の学生に聞いて見たところ、高等教育無償化に軍配が上がりました。正直自分の子育てを考えて見ても、子どもが小さいうちは食事の量も少ないですし被服費や教育費もそれほどの負担は感じませんでした。が大きくなるにつれ、食事の量も増えますし、学校の制服や部活の道具、さらに塾などの学校外教育費などとてつもない額のお金がかかります。今、「お金がかかるから子どもを産まない」と言っている層も、「幼稚園や保育園に通わせるお金がない。」と出産を控えるのではなく「将来、大学に行かせてやれるかわからない。」から出産を控えているのではないでしょうか?

こう考えると、幼児教育無償化よりは、給付型奨学金の大幅拡充や学費の減免など高等教育無償化をしっかりと作り上げた方が少子化対策効果は高いと思われます。

 

■全世帯の幼児教育無償化は格差を広げる可能性がある

現在検討されている2019年度から段階的に、0~2歳児は低所得層限定で、3~5歳児は全世帯を対象に無償化する方向で調整が進んでおり、さらに財源の不足から保育料負担の高い認可外保育園が無償化から外れる可能性も出てきました。

現在保育料は、所得の高い家庭の保育料は高く、所得の低い家庭は保育料負担も低く抑えられています。つまり、3〜5歳児の保育料を全世帯無償化すれば、高所得家庭の保育料負担が減るだけで、税による「所得の再分配」機能と全く逆のことが起こります。

認可に入れず、やむなく認可外の保育園に入れて働くしかない中低所得家庭が10万円近い保育料負担をしなければならないのに、保活を頑張った高所得家庭の保育料が税金で負担されるというのは、納得しづらいものがあります。

政府が最優先で行うべきは、全世帯の保育料無償化でなく、待機児童の解消であり、女性が安心して子どもを産んで働ける社会の実現だと思います。

 

■幼児教育無償化に関するまとめ

少子高齢化の解決策として幼児教育無償化を行うのであれば、あえて多額の税金を投入して幼児教育を無償化することが、少子化対策に繋がるのか、の検証が必要です。3~5歳児の幼児教育無償化には8000億円がかかるとの推計がありますが、これだけの費用をかけて何を成果とするのか、はしっかりと明示する必要があると思います。少子化対策のためならば、幼児教育の無償化よりも待機児童問題を優先し、余った予算は、少子化の大きな要因となっている高等教育の無償化に振り向けるべきでしょう。

もちろん、お金がたくさんあるのなら、幼児教育も無償化した方がいいに決まっていますし、子ども保険のような新たな財源で幼児教育無償化を目指すのであれば、それも良い考えだと思います。

何のための施策で、それによりどういう成果を求めるのか?さらにそれが本当に成果に上がるのかの調査などをしっかりと行う。例えば、20代〜40代のこれから出産する可能性のある方々に、

1)待機児童の解消  
2)幼児教育無償化 
3)大学等高等教育の無償化 
4)児童手当の増額(現在月1万円を倍額に) 

について、優先順位を聞いてみるような意向調査は有効だと思います。

 

 

 

■大学無償化に関して

まず、高等教育無償化なのか、大学教育無償化なのか?が明確になっていません。「大学等」となっていますが、専門学校という記述は見られないので、おそらく、大学や短大などに限定される可能性が高いと思います。

高校卒業後、2割弱の生徒は専門学校に通います。また、日本では高所得世帯ほど大学進学率が高いため、専門学校に通う子どもの家庭の所得は中低所得の割合が多いと思われます。高等教育無償化を考えるときに、専門学校が対象に入るのかどうかは、大きな問題です。私個人としては、専門学校に通う生徒にも無償化または一定の学費補助などを行うべきだと思います。

 

■実は大学無償化ではなく所得連動型奨学金の導入である

11月2日に発表された自民党の案では、保護者の所得に関わらず、国立大学を全て無償化し、私立大学は国立大学の学費分と同じ額を無償とし、不足分は無利子の奨学金を用意するという形です。しかし、報道を見る限りでは、大学卒業後一定の収入を得られれば返還すると言うことです。つまり学費無料ではなく「所得連動型奨学金」と言われる新しい奨学金システムを導入すると言った方が正しいのではないでしょうか?

*所得連動型奨学金http://www.jasso.go.jp/shogakukin/seido/type/1shu/shotokurendo.html

 

自民党の教育再生実行本部(本部長・馳浩元文部科学相)案を検討すると、学費負担の難しい中低所得家庭の子どもは、所得連動型奨学金と貸与型奨学金の2つの奨学金を背負うことがスタンダードになるようです。社会に出た途端に、借金漬けというイメージは、少子化をさらに加速させるのではないでしょうか?

 

■国公立大学の一律学費無償化に関して

そもそも、学費の安い国公立大学の学費を無償にする必要があるでしょうか?多くの国公立大学では、すでに、低所得家庭の学生のための学費免除制度があります。キッズドアでボランティアをしてくれる学生にも学費免除の生徒がいます。

東京大学に通う保護者の平均年収が1000万円以上と言われるように、今や国公立大学への進学者は、私立高校からの進学割合が高く、「苦学生」のイメージとはかなり違います。そもそもセンター試験&2次試験の対策は高校生への負担が重く、予備校などに通う方が圧倒的に有利です。低所得家庭でアルバイトもしなければならないような高校生にはかなり難しいのです。

国公立大学は一律無料にすれば、高所得家庭に税の再配分をすることになります。さらに、その高所得家庭の学生も含め一律、将来働いて学費を返還する、つまり所得変動型奨学金で負担を自分の未来に先送りすることは、結婚や出産を躊躇させ、少子化をさらに加速させることにもなりかねません。また、所得連動型奨学金はしっかりと経済成長が見込める国ならば、インフレーションにより相対的に借りている奨学金の負担は減りますが、低成長が続く現在の日本の状況では、それも見込めないため、若者にとっては望ましい学費無償の形態ではないと考えます。

 

■所得に応じた学費の導入

財源が限られる中、大学の学費は、一律に無償化するのではなく、給付型奨学金のように、どのような所得層の子どもも躊躇せずに大学進学を選べる道をつくる方が相応しいと思います。

例えば、所得連動型学費制を導入するのはいかがでしょうか?年収1千万円以上なら満額、それ以下は半額、600万円以下は無料などというように、家庭背景に応じた配慮を行うのです。これなら、学生が将来の返済の負担を感じることもありません。

 

■少子化対策として多子家庭には大胆な配慮を

少子化対策として大学の学費を考えるのなら家庭の所得や子どもの人数に応じて、収めるべき学費が決まる「多子割」というような考え方が有効だと思います。少子化の大きな原因は、「子どもが増えると大学に行かせてやれないから、本当は、2人、3人子どもが欲しいけれど、1人しか産まない。」という高等教育をきちんと与えてあげられるかどうかの不安だと思います。

国公立大学の学費は、子どもが一人しかいない家庭は満額、2人兄弟なら半額、3人以上なら全員無料にするなど、子どもが多くいる方が得をする制度設計にすれば、もっと、子どもを産もう、という人も増えるでしょう。

 

 


B  教育の内容が古く、学校の体質改善も進まないため、「学校」のみの教育に限界がきている


■高等教育無償化の前にやるべきこと

現在の日本の教育は非常に大きな課題を抱えていますが、それは、幼児教育と大学教育の無償化ですべて解決するのでしょうか?私は大学無償化の前に、教育の質や学校システムの疲弊については、今すぐに取り組まなければならないと思います。

まず、公立小中学校の基礎教育の担保がなされていません。小学校も中学校もきちんと通っていたのに、九九ができない、英単語を全く覚えていない中学3年生がいます。

 PISAの学力テストでいまだ学力上位であるとメディアには流れますが、それは学校の教育力を表しているのでしょうか?

 今では小学6年生の通塾率は47.3%、中学生にいたっては61.1%です。

塾というと成績が悪い子が通う補習塾というイメージをお持ちの方も多いでしょうが、いわゆる受験塾と言われる塾に通っている子の成績が高くなっています。学力テストの成績上位者は学校の教育成果というよりは塾の教育力によるところも大きいのではないでしょうか?小中学校の時代から塾などの学校外教育に通えない子は不利があります。低所得家庭に塾代を補助するような自治体も出ていますが、現実的に格差を埋めるためには、塾等の学校外教育の機会均等をどうするのか?という大きな課題があります。

 

■21世紀を生きる力の教育は誰が行うのか?

さらに、学校教育の中身は長らく変わっていませんが、社会で求められるスキルは大きく変わっています。私は自分を含め、公立中学校、高校の授業だけで英語でコミュニケーションが取れるようになった人に、まだ出会ったことがありません。英会話スクールに行ったり、留学をしたり、と学校外で英語のコミュニケーションを習った人がほとんどではないでしょうか?

ますますグローバル化するこれからの時代に、低所得家庭の子どもは英語力で大きなディスアドバンテージがあります。加えてITも低所得家庭の子どもはスキルを身につけられません。小中学校のIT室は立派ですが有効に使われているとはいいがたく、自宅にパソコンがない子どもは、そもそもITに触れる機会がありません。就職のエントリーシートや大学のWeb出願はもちろん、インターネットを使いこなして必要な情報を取り、色々なことを学ばなければならないのに、その入り口に立てない状況です。

 

■全子育て世帯へのネットインフラの無償化を!

私は、キッズドアの活動を始めた時から、子育て世帯のネット回線の無料化を提案しています。パソコンの価格は安くなりましたが、月5000円程度のネット回線料はとても高く低所得家庭には無理です。インターネットには、無料の動画教材や英語学習の教材がたくさんありますが、そもそもそこにアクセスできないのです。原物支給として回線を渡すことで、子どもの未来は大きく変わると思います。

低所得家庭の子どもや、塾や英会話教室、ITスクールなどがない地方のこどもは、公立小中高校の教育しか受けられないところが、最大の課題だと思います.

キッズドアでも、英語やITや起業教育などの新しいコンテンツを無料で提供することに挑戦しています。しかし、ひとつのNPOができることは限られており、早急に国の方針を決めるべきだと思います。

例えば、ほぼ全ての小中学校にあるIT室を、図書室のように放課後解放し、そこに、大学生のボランティアや引退したビジネスマンがいて、子どもたちにパソコンの正しい使い方を教えるような取り組みは、すぐにでもできるのではないでしょうか?

 

■すべての子どもたちが21世紀に必要な教育を受けられる環境整備を

少子化対策としての「学費負担の軽減としての高等教育無償化」と、教員の負担増、いじめや自殺の問題、さらに全国民への基礎学力(読み書きそろばん)が担保されない現状など、すでにシステム疲弊が限界にきている公立小中高校の立て直しは、分けて考えられるべきです。そして、両輪をしっかりと動かして行かなければなりません。やみくもに大学教育無償化を進めれば、教育投資にお金を注ぎ込める家庭の子どもだけが、国公立大学の無償化恩恵を、さらに自分の21世紀型スキル(英語やIT)に注ぎ込み、中所得以下の国民の大多数は、アップデートされない学校教育を受けざるを得ず、ますますグローバリズムから置いて行かれるという悪循環が生まれ兼ねません。

すべての子どもが、最低限の学力保証(読み書きそろばん)と共に21世紀に必要な教育を受けられる環境整備を最優先で行うべきだと思います。

 

■目的と資金配分についての早急な検証が必要

何よりも懸念されるのは、あまりにも拙速に「教育無償化」という言葉が一人歩きし、様々な施策が実施されようとしている点です。確かに消費税を上げることで2兆円という財源ができるかもしれませんが、十分な教育無償化を行おうとすれば、すでにそれだけでは足りないことがわかっています。限られた財源をいかに有効に教育投資に、少子化対策に振り向けるのか?それについては、もう少し丁寧な議論が必要ではないでしょうか?

これは、単に幼稚園・保育園の月謝や大学の学費を無償にするというような単純な話ではありません。塾、英語などの語学、ITスキルやプログラミング教育、様々な体験活動など、重要性が増している、現在はほとんど税が投入されていない学校外教育を、日本の教育体系の中でどのように定義するのか?の議論は必須だと思います。

闇雲な教育無償化が、教育のさらなる混乱や格差拡大に向かわぬよう、ぜひ慎重な検証をしてほしいと思います。

 

9月1日に自殺注意報を出すことの無念

今日は2017年8月31日。夏休み最後の日であり、明日から新学期が始まる学校も多いです。

9月1日は、1年間で1番子どもが自殺をしてしまう日だそうです。

だから、最近は、9月1日の前になると、「死んではいけない。」と色々な団体や個人が発信するようになりました。私も、昨年もそして今年も、FBに投稿しました。

しかし、よく考えると、これはとてもおかしなことではないでしょうか?

今の子どもたちにとって、学校はどんな場所なのでしょうか?

最近は、いじめ自殺のニュースにも社会全体が慣れてしまっているように感じますが、昔もこんなにいじめで子どもが自殺していたでしょうか?

学校が始まる日に子どもの自殺が多いから「この日は自殺に注意しましょう。」と、自殺注意報を出し、緊急避難場所を子どもに知らせることは、目の前の命を救うためにやむを得ないのかもしれません。しかしそれが定着すれば、「学校というのは子どもが自殺したくなるほど嫌な場所である。」ということを社会全体が容認することになるのではないでしょうか?

そんな場所で、子どもは学べるのでしょうか?

私は、今年、厚生労働省の第7回社会保障審議会「生活困窮者自立支援及び生活保護部会」の委員に選んでいただき参加しています。色々な課題がありますが、就労していない方に就労自立をしてもらうことは大きな柱です。

昨日8月30日の審議会では、生活困窮の場面で活躍されている団体の方々が現場でのお話をしてくださいました。

たくさんの生活困窮の事例のお話をきく中で、あることに気がつきました。みなさん、学校でつまづいてしまっている方が多いのです。そしてそれは、私たちが貧困家庭の子どもたちの学習支援をしていてもとても感じていることです。いじめ体験や、先生の心無い言動で自尊感情を大きく傷つけられている子どもがとても多いのです。

「厚生労働省の審議会には関係ないかもしれませんが、学校教育の現場で、もう少し多様な個性を認めることが大切ではないでしょうか?全ての子どもが『元気で明るくハキハキとした良い子像』を目指すのではなく、喋るのが苦手な子も、黙々と作業をするのが好きな子もいて、それぞれがお互いの良いところを認め合うというようなことを、先生もお友達も保護者もしっかりと合意することが重要だと感じました。」

と発言しました。

審議会の最後に、成年ひきこもり支援の団体の方が

「私たちは、成年のための居場所を運営していますが、そこを『育ち直しの場』と言っています。昔は学校は、子どもの安心な居場所だったのですが、今では逆に学校に行くことで傷つく子どもがたくさんいます。」

とおっしゃいました。

審議会終了後、その方とお話ししたのですが、

「本来はこの場所に文部科学省の方もいて、学校教育の現場でいじめを無くしていかなくては、この問題は無くなりません。50歳になってもいじめられたことを訴えるのですよ。」

とおっしゃっていました。同感です。

生活困窮の根っこ、働けない苦しさの根っこが、学校という場から始まっているとしたら、まずはそこに手をつけるべきではないでしょうか?

9月1日に、いかに自殺注意報を子どもに届けるのかを考えるのではなく、日本中全ての子どもが「明日から学校だ!」と、ちょっとウキウキするような、そんな社会を作らなくてはいけないのだと思います。

 

 

 

 

 

「あったものをなかったものにできない。」からもらった勇気

前川前文部科学省事務次官が、加計学園をめぐる文書で記者会見をされた。

様々な憶測が流れていて、何が真実か見えづらい。

 

実は、前川氏は、文部科学省をお辞めになった後、私が運営するNPO法人キッズドアで、低所得の子どもたちのためにボランティアをしてくださっていた。素性を明かさずに、一般の学生や社会人と同じようにHPからボランティア説明会に申し込み、その後ボランティア活動にも参加してくださっていた。

私は現場のスタッフから「この方はもしかしたら、前文部科学省事務次官ではないか」という報告は受けていたが、私が多忙で時間が合わず、また特になんのご連絡もなくご参加されるということは、特別扱いを好まない方なのだろう、という推測の元、私自身は実はまだ一度も直接現場でお目にかかったことがない。

 

担当スタッフに聞くと、説明会や研修でも非常に熱心な態度で、ボランティア活動でも生徒たちに一生懸命に教えてくださっているそうだ。

「登録しているボランティアの中で唯一、2017年度全ての学習会に参加すると○をつけてくださっていて、本当に頼りになるいい人です。」

と、担当スタッフは今回の騒動を大変心配している。年間20回の活動に必ず参加すると意思表明し、実際に現場に足を運ぶことは、生半可な思いではできない。

今回の騒動で「ご迷惑をおかけするから、しばらく伺えなくなります」とわざわざご連絡くださるような誠実な方であることは間違いがない。

 

 

なんで、前川氏が記者会見をされたのか?

今、改めて1時間あまりの会見を全て見ながら、そして私が集められる様々な情報を重ねて考えてみた。

これは、私の推察であり、希望なのかもしれないが、彼は、日本という国の教育を司る省庁のトップを経験した者として、正しい大人のあるべき姿を見せてくれたのではないだろうか?

 

私は今の日本の最大の教育課題は「教育長や校長先生が(保身のために)嘘をつく」ことだと思う。

いじめられて自殺をしている子どもがいるのに、

「いじめはなかった」とか

「いじめかそうでないかをしっかりと調査し」

などと、校長先生や教育長が記者会見でいう。

「嘘をついてはいけません。」と教えている人が、目の前で子どもが死んでいるというこれ以上ひどいことはないという状況で、明らかな嘘をつく。

こんな姿をみて、子どもが学校の先生の言うことを信じられるわけがない。

 

なぜか学校の先生には、都合の悪いことが見えなくなる。周りの生徒が「いじめられていた。」と言っているのに「いじめ」ではなく、「友達とトラブルがあった」とか、「おごりおごられの関係」になったりする。

それは今回の、あるはずの文書が「調査をしてみたが、見つからなかった。」であり、「これで調査は十分なので、これ以上はしない。」という構図とよく似ている。

 

自分たちの都合のいいように、事実を捻じ曲げる。

大人は嘘をつく。

自分を守るためには、嘘をついてもいい。正直者はバカを見る。

 

子どもの頃から、こんなことを見せられて、「正義」や「勇気」のタネを持った日本の子どもたちは本当に、本当にがっかりしている。何を信じればいいのか、本当にわからない。

小さなうちから、本音と建前を使い分け、空気を読むことに神経を尖らせなければならない社会を作っているのは、私たち大人だ。

 

 

「あったものをなかったものにできない。」

 

前川氏が、自分には何の得もなく逆に大きなリスクがあり、さらに自分の家族やお世話になった大臣や副大臣、文部科学省の後輩たちに迷惑をかけると分かった上で、それでもこの記者会見をしたのは、

「正義はある」

ということを、子どもたちに見せたかったのではないだろうか?

 

「あったものをなかったものにはできない。」

 

そうなんだ、嘘をつかなくていいんだ、正しいものは正しいと、間違っているものは間違っていると、多くの人を敵に回しても、自分の意見をはっきりと言っていいんだ。

 

子どもたちとって、これほど心強いことはない。

 

「正義」や「勇気」のタネを自分の心に蒔いて、しっかりと育てていいんだ。

どれほど心強いだろう。

 

 

今回の記者会見は、前川氏にとっては、何の得もないが、我々日本国民には非常に重要な情報である。報道によれば、くだんの大学のために、37億円の土地を今治市から無償譲渡し、96億円の補助金が加計学園に渡る計画だという。

もし、大学が開学すれば、さらに毎年国の補助金が渡ることになる。

 

96億円の補助金とはどれぐらいの額だろうか?

昨年、私たちを始め多くの団体やたくさんの方々の署名によって実現した給付型奨学金の年度予算は210億円だ。一人当たりの給付額も少ないし、人数もとても希望者をカバーできるものではない。なぜ、こんなに少ないのか?というと、「国にお金がないから」という。

 

お金がないのに96億円、土地も合わせれば136億円もの税金を投じて、新たに逼迫したニーズを見られない獣医学部を作るお金を、給付型奨学金に回したほうがいいのではないだろうか?

 

前川氏の記者会見は、このような税金の使い道について、もう一度国民がしっかりと考える機会を作ってくれた。

 

今、憲法改正による教育無償化がにわかに浮上している。私は教育無償化に賛成だ。いや、賛成だった。

しかし、大学の設置や補助金に信頼性が置けない現状では、憲法を改正してまで教育無償化を急ぐことに、大きな疑念が生じている。

結局、あまり市場ニーズのない、教育力のない大学等に、「子どものため」と言って税金がジャブジャブと投入され、子どもは質の良い教育を受けられない状況は変わらずに、一部の人だけが豊かになる。

そんな構図が描かれているとしたら、恐ろしいことだ。

 

これが事実かどうかは、わからない。しかし、そんなことを考えさせてくれる。

 

記者会見は、前川氏や彼の家族にとってはいいことは何もないが、本当は必要のない大学に多額の税金が使われるという、大きな損失を防ぐかもしれない。そのために、彼は勇気を出し正義を語ったのではないだろうか?

 

「あったものをなかったものにはできない。」

 

何が真実なのか、私たちはしっかりとこれからも探求していかなければならない。

 

今後、どのように動くのか全くわからないが、私たちは、文部科学省というこの国の教育を司る省庁のトップに、強い正義感と真の勇気を持った素晴らしい人物を据える国であり、時に身を呈して、国民のためにたった一人でも行動を起こす、そんな人が政府の中枢にいる国だということは間違いない。

 

*前川氏がボランティアされていたことをブログに書かせていただくことは、弊団体広報を通して事前にご本人に確認をとっております。

2017年を迎えて―シルバーポリティクス・高齢者の意識は変わるのか?

2017年の年頭にあたり、2016年を振り返り、子ども・子育て・若者支援に取り組むNPOの一員としての期待と願いをお伝えします。
 
■2016年キッズドアの統括

NPO法人キッズドアとしては、非常に良い1年でした。おかげさまで低所得のご家庭の無料学習会は40教室あまりとなり、たくさんの素晴らしいスタッフが加わって充実した活動を行なっています。新しいプロジェクトもスタートし、キッズドアとしては非常に良い1年でした。

また、低所得の子どもたちに無料学習会を行うNPO等の連携を強めようと、多くの方と力を合わせ、全国子どもの貧困・教育支援団体協議会 という団体の設立を果たしました。

フローレンスの駒崎さんや、シングルマザーズフォーラムの赤石さん、少子化ジャーナリストの白河桃子先生や乙武さんなどたくさんの方にご協力をいただいた給付型奨学金の創設に向けて活動し、先日の国会で給付型奨学金の実施が決まりました。

たくさんのメディアにも取り上げていただき、日経socialイニシアチブ大賞のファイナリストにも選んでいただき、キッズドアとしては、飛躍の一年と言って良いでしょう。

しかし、それでもなお、個人的には2016年が良い年だったとは言えません。

「子どもの貧困」課題を解決するためには乗り越えなければならない壁「シルバーポリティクス(高齢者の利害を反映した政治)」の強固さを改めて認識したからです。 “2017年を迎えて―シルバーポリティクス・高齢者の意識は変わるのか?” の続きを読む