こどもの日に「道徳教科化」について考えよう!

2018年5月4日の日経新聞「春秋コーナー」には、話題の道徳の教科書の話が載っています。

 

「監督の指示はバントだけれど、今は打てそうな気がするんだ。どうしよう・・・・」。星野君は思い切りバットを振る。二塁打だ。この一打がチームを勝利に導き、市大会への出場が決まった。今春から小学校で正式な教科になった道徳の教科書にこんな話が乗っている。
「チームの約束を破り輪を乱した者を、そのままにしておくわけにはいかない」。星野君は監督に糾弾され、大会への出場を禁止される。
教師用の指導書には、「集団生活における規律やそれを守ろうとする姿勢の大切さ、本当の自由の意味を考えさせたい」。星野君の行動は全否定されるべきなのか。賛否は割れそうだ。

 

海外の教育関係者の間で、もはやジョークになっているそうです。

賛否は割れそうとありますが、私のまわりで、これに賛成している人を見たことがありません。

道徳が教科化され、この星野くんの行動を糾弾しないと良い内申点がもらえない

という学校教育は、大いに問題を含んでいるとおもいます。

大川小学校の悲劇は、まさにこの問題が悪い方に出て、「裏山に逃げたい」と思った生徒はたくさんいたでしょうに、先生の指示に従った結果ではないでしょうか?私たちは、大川小学校から本当に何か学んでいるのでしょうか?

産業界では自分で考え、判断する人材が求められています。指示に従うことしかできない人材は、AIやロボットに変わられます。

 

学校という場が持つ力はとても大きい。だからこそ学校で何が起こっているのか?学校でどんな教育が行われているのか?は、学校関係者のみではなく、もっと多くの人々が関心を持つ必要があるのではないかと思います。

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